・少年期〜ネトゲと出会うまで

 
 ファミコンやらスーパーファミコンやらの頃から、エキサイトバイクロードランナー、キャラを作れるプロレス物などのEDIT可能なゲームが非常に好きであったし、ゲームに限らず好きなものは自分で作らなければ気が済まないガキであったので、絵を描いたり、ダンボールやら竹やら蒲鉾板やらを切り刻んだり、果ては母親や婆ァに編み物やら洋裁やら料理まで教えを乞うて、何やら得体の知れぬものを次々に生産していたのである。
 子供なのでエロ本の入手が困難である為、自分でエロい絵を描いてみたものの全く興奮出来ずに失望した事があるが、とにかくそれぐらいアグレッシブに好きなものを自分で作ろうとしていたのである。


 そういう性分なら当然プログラミング等に手を出していてもおかしくは無く、実際興味はあった。が、スタートで躓いた感がある。
 ファミコン本体を所持していない段階で婆ァにファミリーベーシックをせがんで失敗したのである。思えば買って貰えなくて大正解ではあった。ファミコン本体無しでファミリーベーシックを購入して、使えない事に気付いて愕然とする婆ァと孫の図など想像しただけでゾッとするし、芋づる式に婆ァにファミコン本体をねだる孫の図など想像しただけで焼き殺したくなる。
 とにかくこの経験が少なからず何らかのトラウマを俺に与えたであろう事は想像に難くない。実際、中学校に入学して友人宅のパソコンでA列車をプレイするまでパソコンとは無縁であったし、それ以降は大学に入るまでパソコンとは無縁な生活を送っており、俺はパソコン素人童貞と呼ぶに相応しいイカ臭さを周囲に振りまいていたのである。


 大学に入った時には既にパソコン通信ではなくインターネットがスタートしていた。

 そういえばインターネットのスタート後、最初に発達したのは丁度最初の頃のSecondLifeと同じようにエロであったと良く言われるが、本当であろうか?Yahoo!で「マンコ」で検索して「ウルトラマンコスモス」ばかりがHitして失望した記憶がある。円谷プロには申し訳ないが。


 その後、ある人物よりドリームキャストが俺に授けられた。後の義理の兄である。(もったいぶった書き方をしたがどうでも良い情報である。)
 ドリームキャストは確か家庭用ゲーム機としては初めてネットに接続出来る機種であったと思う。これで「ぐるぐる温泉」や「PSO」をプレイしたのが俺のネトゲデビューである。
 ちなみに「ぐるぐる温泉」では一度ネカマに挑戦してみたが、気味悪がられて5分程で俺の作った部屋から誰も居なくなり、俺にはネカマの才能が無い事を思い知ってそれ以降はネカマプレイには手を出していない。


 最初に己用のパソコンを購入したのは、大学を卒業してからの事である。
この時に王道である「UO」にはまり、その後「SWG」にはまったのである。